2017311日創世記47:13-26「神の与える政策」

 

前回の聖書箇所より「約束された民の自覚の大切さ」と「神の御心を求める事」を学びました。

 

さて、もうすぐバレンタインのお返しのホワイトデーですが、皆さんはプレゼントをもらうのと、プレゼントをあげるのは、どちらが嬉しいですか? こう質問されて「どっちかなぁ」と考えるのは普通の事だと思います。なぜならば「どちらも嬉しい」からです。それでもなお「どちらが、より嬉しいですか?」ときかれたらどうでしょうか?「プレゼントされる方が嬉しいけど、プレゼントするのは嫌だ」と即答する人がいたら、その人はすぐにフラれてしまうでしょうね~。

この世の中、「与えるより受けるのが良いのだ」と思っている人の方が圧倒的に多いので「なかなか与えてもらえない」と不平を言って争うのですが、「受けるよりは与えるほうが幸い」と知る人が多くなれば、この世界はもっと住みやすくなるでしょう。

 

今日はひどい飢饉という状況にあって賢い政策をとったヨセフを通じ、神の愛と恵みに与りたいと思います。

 

ひどい飢饉がついにエジプトにも及びました。それはパロが夢で見た事が現実となったのです。 ヨセフは夢を解き明かし、この事にあらかじめ備えていましたから、本来ならこのような危機にあってエジプトの人たちは暴動化するところでしたが、備えがあったのでパニックになる事はなかったのです。

 どんな対策がされていたのか振り返ってみると、エジプトの豊作の7年間で食料が貯蓄されていましたので、エジプトの人たちはヨセフのところに食料を買いにくれば与えられる、と知っていたのです。食料の価格は人々も納得できる価格だったのでしょう。そうして集められた銀をヨセフはパロに収めました。このようにして国の財政が守られ、次への備えが出来たのです。

それから数年経って、飢饉がますますひどくなり、エジプトとカナンの国に銀も尽きた時、エジプトの人々はヨセフの所に泣きついて来てこう言いました。15節をリビングバイブル訳で読みます「穀物を売っていただこうにも、銀も尽き果ててしまいました。このままでは飢え死にしてしまいます。どうか食べ物をお恵みください。見殺しにしないでください」とヨセフが憐れみ深い人物だと信頼してエジプトの人々は訴えたのです。そこでヨセフ16節「わかった。それなら家畜をよこしなさい。引き換えに食糧を与えよう」と提案したのです。そこで背に腹は代えられないとエジプトの人々は食べ物を買うために家畜を連れてきました。そしてエジプト中の馬、羊、牛、ろばが、王のものとなったのです。

18節「翌年になると」とありますが、これは飢饉の7年目にあたります。エジプトの人々はまたやって来て「もう銀もなくなり、家畜も全部あなた様に差し上げました。残っているものといえば、自分の体と土地しかありません。このままでは死ぬのを待つだけです。どうぞ、私どもと土地を買ってください。王様の農奴となりますから、食糧と引き換えにしてください。そうすれば生き延びられるし、種を頂ければ土地を耕すこともできますから」と申し出ます。飢饉が7年で終わる事を人々は知っていましたので「パロの奴隷になって種をもらって農地を耕せば、やがてまた収穫もできるでしょう」という提案でした。そこでヨセフがうった対策は「まず、エジプト領土の端から端まで町々に移住させました。そして土地を国有地としました。種を渡して耕作を勧め、収穫の五分の一は国に納め、人々の取り分は五分の四で良いから、それを次の年にまく種や家族の食糧にしなさい」という事でした。26節に「この政策が今日まで及んでいる」とは後にモーセがこの創世記を編纂するまでに至ったという事ですが、ヨセフの功績をしらない後のパロ達もこの恩恵に与る事が出来たのです。こうしてエジプトの財政も保たれ、同時に人々の暮らしも守られました。

 

私達の社会も、国もこうなれば良いのになぁと思いながら読める聖書箇所ですが、信仰生活に照らし合わせてみると、ヨセフはいつも自分の利益を求めるのではなく、他者利益を考えてwin-winの考え方で政策を勧めた人物であり、その根底には、いつも神への畏敬の念があったという姿勢を学ぶ事が出来ます。私達へのお手本でもあります。

イエス様もこうおっしゃいました。「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」と・・・。

人間関係には、「相手に与えた通りに自分に返ってくる」という原則があります。

笑顔で応対すれば笑顔が返ってきますし、不快な表情を見せれば相手も不快な表情を送ってきます。この原則は、ビジネスの世界だけでなく、社会の中でそのまま通用します。「自分にして欲しいことを、相手にもする」というのが、成功の最大の秘訣です。

秘訣その1. 公正。つまり、嘘を言わない、騙さない、言い逃れをしない、ということです。この姿勢は、人からの信頼を勝ち取ります。

秘訣その2. 品質。おもてなしです。常によい「おもてなし」することが、評価につながります。

秘訣その3. 相手の事を考える。自分の意見を押し付けるのではなく、相手の考えを聞き出し、それに対して助言する立場に立つのがよいのです。

 

米国で起こったある実話を紹介します。オハイオ州に住んでいたチャールズ・ムーアさんという男性は、2006年の年初めに失業し、故郷のデトロイトに戻りました。しかし、そこでも就職先が見つからず、ホームレスになってしまいました。それから数か月後、彼はゴミ箱の中から政府発行の貯蓄債券31枚を発見します。 みなさんだったらどうしますか?? 驚いたことにチャールズさんは所有者を探し当て、それを返却したのです。この貯蓄債券はアーネスト・レートという人物生前に8900ドルで買ったもので、チャールズさんが見つけた時には21000ドル(約250万円)になっていました。チャールズさんはその債券をアーネストさんの息子ニールさんに返却しましたが、彼がチャールズさんに出したお礼は、わずか100ドルでした。

そのニュースが地方紙に掲載されるや否や、電話やEメールでの抗議が息子のニールさんの元に送られてきました。「たった100ドルとは何ごとか!」「感謝が足りない」と怒りの声をぶつけてきたのです。彼は自分の82歳の母親にその責任をなすりつけ、こう言い逃れをしました。「母親が相続人で100ドルでも十分なお礼の額だと言っている」

今度は、地域住民たちが行動を起こし、多くの人がチャールズさんへの支援を始めました。小銭をたくさん集めて渡したり、食事に招待したり、ミシガン州に住む二人のビジネスマンは、1200ドルを送り、彼に清掃会社に就職できるように仕事を紹介しました。なぜビジネスマンの人はチャールズさんを支援したかというと「ホームレスになって自分のことで精一杯なはずなのに、他人のことを考えて行動することができた。素晴らしい。私たちもこの行為を見習うべきではないか」

という事でした。

ムーアが債券を返却してからの話の展開を見ていると、人生の面白さを感じます。世の中も捨てたものではないですよね~。

アメリカ大統領がジョージ・ブッシュの時代、『サクセス(成功)』誌が行なった調査結果によるとアメリカ人が「成功」をどのように定義しているかよく分かります。たとえば、「ビジネスでの成功とは」という質問に対して、60%の人が、「他の人の生活により多くの価値を付加すること」と答えています。「大金を儲けること」と答えたのは、たったの18.8%でした。日本で同じ調査をすると、どういう結果が出るのでしょうか。

質問1.「成功の中に含まれている最も重要な要素とは何か」

 信仰:41% 家族:25.5% バランスの取れた生活:11.7% 

質問2.「成功するために必要な要因とは何か」

 家族とのよい関係:89.9% 配偶者とのよい関係:89.6% 神とのよい関係: 86%

 何でも自由にできること:61.7% 経済的な安定:57.5% 豊富な職歴:47.1%

 財産を作りたいとの願い:43.4% 富・健康を手に入れたいとの願い:32.3%

みなさんは、何をもって成功した人生だと考えますか?

 

パウロは使徒の働き2034節から36節でこう語りました。イエス様の救いを宣べ伝える働きをする中で、遺言のようにエペソの教会に向けて語った言葉です。「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」こう言い終わって、パウロはひざまずき、皆のものと共に祈った」 パウロが宣教活動の中で、常に心にとめていたことが何であったかというと、自分の身を削って労苦しながら、「弱い者を助ける」という心がけでした。

 そして同時に、一番中心的に握っていた言葉が、イエス様ご自身が語った言葉で「受けるよりも与える方が幸いである」という言葉でした。

 イエス様が確実に、どこかで語られた言葉です。そして、イエス様ご自身の生涯を見ていきますと、“受ける”より“与える”生涯であり、受けるよりも与える方が幸いを実践された方でした。それを学んだパウロは、与えるために自分は存在している、という考えと共に一生過ごしていた、という事を知る事が出来ます。

私達は「一円でも多く稼ごう、儲けよう」というような世の中に生きていますから「受けるより与える方が幸いです」という教えを実践しにくいものですが、神の国の価値観・法則は、「受けるよりも与える」ことです。クリスチャン作家の三浦綾子さんは「人間の価値を決めるものは、その人が地上でどんなに集めたかではなく、どれだけ散らしたか、ばらまいたかである」と語られました。

 

よく教会は「主イエス様がかしらであり、私達はキリストの体の各器官です」とたとえられています。各器官とは、その器官だけが機能するのではなく、他の器官のためにあるわけです。

 例えば胃袋はそこでこなした食物を次には腸に送り、腸が機能しやすい状況に仕立て、送り込む訳です。また、腸には腸の働きがあって、栄養を吸収したり、排泄したりするために用いられるわけです。お互いがお互いを補完しあいながら、成り立っているわけです。私達の人生も、また教会も同じです。パウロが大きな働きが出来たのも「受けるより与えるが幸い」を中心にして歩んでいたのです。その土台となっているのがイエス様の生涯です。マタイの福音書2028節「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

イエス様は神の子であり、同時に、神ご自身でした。しかしイエス様のご生涯は、だれかから仕えてもらうためではなく、「仕えるため」と記されています。しもべの姿として来て下さり、多くの人のための贖いの代価として、自分の命を与えるために、この地上に、犠牲の精神をもって来て下さったのです。

 

主なるイエス様は私達に何を望んでおられるのでしょうか?誰かのために仕えていく、与えていくというライフスタイルです。その結果、祝福されて幸せになることができるのです。

 

今日の聖書箇所から、ヨセフが深刻な状況においても、他の人々の事を配慮しながら神に頂いた知恵を用い、窮地を救ったように、私達にも神は知恵を与えてくださいます。神の与える知恵によってどんな状況でも対策が、脱出の道が見つかるのです。そのことをパウロは第1コリント人への手紙1013節でこう励ましています。リビングバイブル訳で紹介します。

「あなたがたの生活の中に入り込む誘惑や試練は、別に新しいものでも、特別なものでもないということです。ほかにも多くの人たちが、あなたがたよりも先に、同じ問題にぶつかってきたのです。どんな誘惑をも退ける手立てはあります。神様は決して、とてもたち打ちできないような誘惑や試練にあわせたりはしません。神様がそう約束されたのであり、その約束は必ず実行されるからです。神様は、あなたがたが誘惑や試練に忍耐強く立ち向かえるように、それから逃れる方法を教えてくださいます」

この言葉でどれほど多くの人が試練の時に耐える事が出来たでしょうか! その13節の前を読むと、なぜパウロがこのように励ましたのかがわかりますし、去年の秋にシリーズで「主の祈り」の「試みに合わせず悪よりお救いください」と祈り求めることを学んだように、終わりの時代にあって、たとえ惑わしや信仰の窮地に立たされることがあったとしても、助け出してくださる神に心を向けていけていられるように、と願います。

 

どんな状況にあっても助け出して下さる主なる神が、共におられます。主を慕い求め、その恵みの喜びに生きましょう。