2016年7月2日創世記26章「イサクの歩み」

 

私達は後先考えずに物事を選択してしまうと、時々大変な事になってしまいます。

例えば、こんな時はどうでしょう・・・?   ある日2台の自動車がフリーウェイで衝突しました。2台とも大破したのですが、幸いどちらの運転手も無事でした。

先に車から這いだした年をとった紳士が他方の車に駆け寄り、運転していた中年の男を助け出してから柔らかい物腰で言った。「お怪我はありませんかな?」

男は、相手の意外なほどに紳士的な態度に驚き、丁寧に答えた。「ええ。あなたは?」「私も無事です。こんな事故なのにお互いに怪我一つしないなんて、奇跡としか言えませんな」「そうですね、これでは5対5ですね」と男性が言うと、老紳士は内ポケットから小瓶を取り出して男に差し出しました。「冷えてきましたな。温まりませんか?こんなときは気を落ち着けるのが一番ですぞ」と小瓶に入ったウイスキーを差し出したのです。「おお、これはありがたい」といって中年の男性はいただきました。どれぐらい時間が経ったでしょうか。中年の男性は中身のウイスキーを半分ほど飲み干したのです。そして老紳士にビンを差し出して「あなたは飲まないんですか?」と聞きました。年をとった紳士は男が返した小瓶を受け取ると、小瓶の蓋を閉めて内ポケットにしまい、 微笑みながらこう言ったのです。「私は警察の事故処理が終わってからゆっくりとやりますよ。おそらく事故の過失も10:0になりましたから!」

・・・・・この後どうなってしまったと思いますか?おそらく中年の男性は酒気帯びで逮捕かもしれませんね。事故の後に飲んだという証拠を証明するのは至難の技でしょう。

また酒気帯びだったからこそ、過失も100%中年男性があったと言われてもおかしくありません。

ほんの小さな選択でさえ、それが大きな損失につながる事なります。でもほんの小さな選択でさえ、私達が神様に従う選択をする時に、神様ご自身が私達を祝福して下さるのです。

今日の箇所は、イサクの信仰の歩みです。今日はイサクから人生から、私達も学ぶべき、神との歩み方を学んでいきたいと思います。

まず一つ目に神との歩みは「神の御声に聞き従う歩みである」という事です。前半1節から12節では当時のカナンの地方で、飢饉が起きたという事で、イサク達がエジプトに下ろうとします。イサクの父アブラハムも当時この地で飢饉が起こった時にエジプトまで下りました。

 当時のエジプトはこの地域において、一番繁栄していたのです。ですから水も食料も豊富にありました。イサクは彼と、彼の家族以外にもたくさんの人と家畜を連れていたのです。ですから彼も「エジプトに行けばなんとかなる」と思ったのでしょう。それでこの時イサクは「ゲラル」という地まで下っています。しかし、ここで主ご自身がイサクに直接語られるのです。それが3節から5節で神様は「この地に滞在しなさい」とおっしゃったのです。そしてイサクに3つの約束をかたりました。それは①子孫を星のように増やす事。②土地を所有する、つまり国家となる。そして③全人類は、イサクの子孫によって祝福される。という事でした。これはどれも神様がイサクの父アブラハムと結んだ約束だったのです。つまり「あなたは父アブラハムの祝福の約束を継承する者である」と神様はもう一度イサクに語られたのです。だからこそ留まりなさいとおっしゃったのです。

その後イサクはどうしたのかというと、その後エジプトには・・・行きませんでした。そのままゲラルに留まったのです。つまり、神様が与えたカナンの地に留まったのです。

そしてここで一つ騒動ありました。当時美しかったと言われている妻リベカを自分の妹だと嘘をついたのです。これはまさに自分の父アブラハムが自分の妻サラを妹と言って嘘をついた、それと全く同じ過ちをしてしまったのです。そのような出来事がありましたが、当時ゲラルを支配していたペリシテ人の王、アビメレクからイサクとリベカは守られました。そして12節13節では「イサクは地に種をまき、その年に100倍の収穫を見た。主が彼を祝福して下さったからである。こうしてこの人は富みますます栄えて、非常に裕福になった」とあります。

イサクは自分ではエジプトに行こうとしていたのです。でもその思いに踏みとどまり神のみ声にただ聞き従ったのです。そのイサクを神様はお言葉通り祝福したのです。

私達が神様の声に聞き従う事は神と共に歩む上で重要な事です。1サムエルにこのような言葉があります。この言葉は当時のイスラエルの初代の王、サウルに対してサムエルという預言者が語った言葉です。

1サムエル15:22するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従う事ほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従う事は、いけにえにまさり、耳を傾ける事は、雄羊の脂肪にまさる」つまり神様は、私達が神様のために何かを捧げるよりも、神様のために何かをするよりも、何よりも神様のみ声に聞き従ってほしいと言っているのです。なぜかというと、神様は私達の一番良い道をご存知だからです。そしていつも導いて下さりその道で祝福する、とおっしゃって下さっているのです。だからこそ私達もその声を聞くべきですね。

 

羊飼いと羊の関係からよくわかる事があります。あるグループがシリアの方を旅していました。すると沢山の羊がいたのです。そこには3人の羊飼いが話をしていました。すると彼らは驚くべき事を目にするのです。羊が野の草を食べている時に一人の羊飼いが現地の言葉で「私についてきなさい」という言葉の「メナー」という言葉を羊の前でいうと、一人の羊飼いの元に役30頭の羊が集まってきました。するとまた別の羊飼いが「メナー」というと今度はさっきの羊とは別の羊が、その羊飼いの元に40頭ぐらい集まったのです。呼ばれていたと思われる羊以外はビクともしなかったそうです。それを見た旅人は驚いて、「自分が試しに残った羊を呼んでいいか?」と3番目の羊飼いに聞いたんです。羊が呼ばれて気づくのは服装もあるのかもしれないと思い、羊飼いに来ているものを借りてそれを羽織って、羊に「メナー」と叫びました。するとやっぱり羊は見向きもしなかったのです。そのあと、羊飼いがメナーというと、残りの羊が全てその羊飼いの元に集まったのです。なぜ羊はこんなにも羊飼いの声を聞き分ける事ができるのでしょう?それはいつも羊飼いの声を聞いているからです。だから羊にとっては羊飼い以外の声は雑音としか聞こえないのかもしれませんね。でも羊飼いの声は聞こえるんです。なぜかというといつも自分達を導き、食料をくれる。危険から守ってくれる存在だからです。母親にとって赤ちゃんの声もそうだと言いますね。どんなに他の赤ちゃんが泣いてようと、自分の赤ちゃんが泣いていると聞こえる、と。それも自分がいつも大切にし、愛している声だからです。

同じように、神様と共に歩む者として、私達もいつも神様のみ声を聞く必要があります。どうやって聞く事ができるのかというと、聖書の言葉を通してです。み言葉は神様のみ声です。それをいつも聞く事を通して私達は神のみ声を聞いていくのです。なぜなら御言葉は今でも生きて私達に語りかける言葉だからです。ヘブル4:12「神の事ばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、 関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別する事ができます」

次に私達のうちにいる聖霊も私達に語ってくれています。イエス様もこうおっしゃっています。ヨハネ16:8「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」神様を知る時に、私達が持っている良心ではなくて、私達と共にいる、聖霊なる神が私達に語って下さる、誤りだったらその誤りを、気づかせてくれるという事です。エペソの4:30でパウロはこう言っています。「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなた方は贖いの日のために聖霊によって証印を押されているからです。」聖霊なる神ご自身が私達と共にいて下さる。その神を悲しませる歩みではなく、喜ばせる歩みをしなさいという事です。

2つ目のテーマは神と共に歩む時に、②神は必要を満たして下さるという事です。1節から3節以降を読んでいくと、その後イサクが置かれた地で、祝福されていきます。するとペリシテ人達が妬むようになります。そしてペリシテ人はイサク達が使っていた井戸を塞ぎ始めます。そして「ここから出て行ってくれ」と言われてしまいます。そしてその地から出て行って違う地に住み始めるのです。彼らは遊牧民ですから天幕を張って生活していますが、彼らは生活の上で必ず水が必要です。ですから移住する時には水がある地、もしくはそこで井戸を掘ります。イサクは移動した地で井戸を掘ります。しかし井戸を掘って水が湧くと、その地に住む羊飼いが来て、「これは我々のものだ」と争うようになりました。それが何回かあって後に、ようやく水が出ても争わない地にやってきました。そしてそこにイサクは住むようになるのです。そしてイサクはこう言うのです。22節「今や主は私達に広いところを与えて、私達がこの地で増えるようにして下さった」この時のイサクを見ると、井戸を掘り争うと、そこから移動していきます。そして争いがない地に定住したのです。ここを見てこんな風に言う人がいるのです。「これはイサクがただ争いが好きじゃない平和主義者だったからだ。だから争いが起きると他に行った」または「イサクは気が弱かった。だから逃げて行ってしまった」もちろんこの二つどちらでもありません。なぜイサクがこのように移動して行ったのかというと、イサクには一つの確信があったからです。それは「神は私を必ず導いて下さり、その必要を与えて下さる」という確信です。だからどこに何があろうと、移動して行ったのです。「神様、ここじゃないんですね。わかりました。では私は移動します。」そしてイサクは神に導かれるままに移動し、井戸を掘って行ったのです。そして行き着いた地で争いがない事を知ると、その地に導いて下さったと受け止め、22節「今や主は私達に広いところを与えて、私達がこの地で増えるようにして下さった。」と神を賛美しているのです。

私達の神は導く神であり、私達の必要を知っており、必ず養って下さる神であるという事です。

イエスキリストもこのように言いました。マタイの福音書6章25節「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちの事で、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだの事で、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか」

同じくマタイの福音書6章32節から34節「こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要である事を知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすの事はあすが心配します」私達がすべき事は、神の道を求め、神と共に歩む事です。私達に与えられた人生を、私達に与えられた時間と言い換える事ができます。どんな一流の人でも、学生でも、小さな子でも1日に与えられている時間は24時間です。その24時間の中で、無駄な時間があるとしたら、取り除きたくないですか? それは「心配する事をやめる」のだそうです。実は私達は悩んだり、心配する時間を知らず知らずのうちに多く取っています。作家のウィリアム・ウォーカー・アトキンソンは、彼の本の中で「よく言われる事ですが、心配事の9割は実際には起きず、残りの1割は起きても、ほとんど取るに足りないものです。そうだとしたら、将来起きるかもしれない問題に思い悩んで大事な力を使う事に何の意味があるでしょう。実際に起きるまで、心配するのは待ちましょう。」起こらない心配をするのは時間の無駄だと書いています。

イサクの歩みは「日々の糧を必ず与えて下さる神様に期待する」という歩みだという事ですね。そのようなものに神様は必ず答えて下さるのです。

3つ目のテーマとして覚えたい事は、神との歩みとは神を日々礼拝する事です。

23節でイサクはベエルシェバに上っていきます。するとそこで神ご自身がもう一度イサクに対して約束の言葉を語ります。24節「主はその夜、彼に現われて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあたたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」

つまり、カナンの地に留まったイサクに対して、もう一度約束の言葉を語ります。これはイサクの信仰の態度を神様ご自身が喜び、必ずこの約束がイサクの人生において成し遂げられる事を神様はイサクに伝えたのでした。イサクはその祝福の約束の言葉を聞くと真っ先にした事があったのです。それは25節「祭壇を築き主の御名によって祈った」という事です。つまり神に感謝を捧げ、神を礼拝したのです。

「祭壇を築く」という作業は、イサクだけではありません。イサクの父アブラハムも、そしてその祖先ノアも行っています。ノアのストーリーの中に箱舟を作り大洪水から救われる話があります。その大洪水から、助かったノアとその家族はまず祭壇を築いたのです。イサクの父アブラハムはカナンの地において4回祭壇を築いています。それはいつも彼らの人生において神様ご自身を人生の真ん中に置き、いつも神様を礼拝していたのです。

 

礼拝とはなんでしょう?礼拝は簡単に言えば「神と関係を持つ事」です。英語ではWorshipという言葉ですが、この言葉はWorth(価値があるものと)-ship (関係を持つ)という意味なのです。つまりこの地上において一番価値があるお方、富んでいるお方、と関係を持つ事です。それを具体的に行うのが教会です。例えば賛美を歌う事、これも礼拝です。賛美を歌う事を通して神様との関わりを持つのです。また祈りです。祈りは神様との会話です。会話を通して神様と関わりを持つのです。またメッセージもそうです。メッセージの時間はみ言葉を通して私達に神様ご自身が語って下さるのです。聖書の言葉を読む時間もそうですね。この礼拝の全てを通して神様と関係を持っていくのです。

実は旧約聖書の時代には、この礼拝の場所が決められていました。アブラハム・イサクの時代は祭壇。それ以降は、幕屋、そして神殿です。なぜかというとそこに神様の臨在があったからです。彼らは決まった場所でしか礼拝する事が出来なかったのです。

でも今はどうでしょうか?私達がイエスキリストを信じる時に、私達のうちに祭壇、幕屋、神殿に宿った神ご自身が住んで下さるのです。聖霊なる神です。ですから現在は、礼拝は教会に行かなくても大丈夫です。私達は家でも、車でも、トイレでもどこでも神様と自由に関係を持ち、神様を礼拝する事が出来ます。

イサクやアブラハムはいつも祭壇を築き礼拝していました。それはいつも彼らの人生において神様ご自身が中心であり、礼拝を通して、いつも神様から力を頂いていたのです。

ダビデもこう歌っています。詩篇27:4「私は一つの事を主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住む事を。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために」喜びの時にも、試練の時にもダビデは一つの事を願いました。それは神を礼拝し、神ご自身との交わりです。なぜなら礼拝する時に神ご自身が豊かに働き、彼らの人生を支配して下さったのです。全ての必要を与え、導いて下さったのですね。

 

ひとりのクリスチャン女性を紹介します。 第二次大戦中のポーランドでは、ユダヤ人達は、ナチスドイツに迫害され、ゲットーと呼ばれる高さ3mのレンガの壁で囲まれた狭い地域に隔離されていました。そこでは、飢え、病気、寒さのため毎月5~6千人が死んでいきました。やがてユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)が始まり、「絶滅収容所」へ順に移送されていきました。そんなゲットーから2500名ものユダヤ人の子ども達を密かに連れ出し、国外の施設に預け、養子に出し、生きられるようにした20代の若いポーランド女性がいました。ユダヤ人救援地下組織リーダーで、クリッスチャンのイレーナ・センドラーです。

 イレーナは、クリスチャンの家庭に育ちます。当時、ヨーロッパでは「発疹(ほっしん)チフス」が大流行していました。その時医者であるイレーナの父は自らも伝染病にかかる危険を冒して、貧しいユダヤ人達を無償で診ていました。しかし看病していた父本人がチフスに感染してしまい、天に召されてしまいました。死の床で、父はイレーナにこんな言葉を言っています。「誰かが苦しい思いをしていたら、知らないふりをしてはいけない。何があっても、助けようとする努力が大切なんだ」そう言い残しました。

 イレーナはこの父の生き方を受け継ぎ、父のように困っている人を助けようと、社会福祉士(ソーシャル・ワーカー)として、ユダヤ人達を支援する活動を戦前から行います。ナチスがユダヤ人達をゲットーに入れてしまうと、イレーナは保健局とのコネでゲットーに入る許可証を入手し、約20名の仲間と共に、ユダヤ人の子ども達を救出しました。ユダヤ人を助ければ、助けた本人も家族も処刑されるという、命懸けの仕事でした。

1943年、イレーナは彼女の活動をのゆえにゲシュタポ(秘密国家警察)に捕まり、助けた子ども達の居場所を言わせようと、拷問を受けます。手と足の骨が折れるまで殴られたり、蹴られたりしました。でも彼女は黙り通しました。その後死刑宣告を受けました。彼女は四方八方がふさがれていったのです。もうダメだと思う時、彼女は神様に祈りました。「どうぞ神様、私を救う事ができる神様。あなたが私をお救い下さい」祈り終え、目を開けても、もちろん独房の中です。しかし、彼女は助かりました。仲間が守衛のドイツ兵に賄賂を渡し、彼女は絶体絶命という状況から解放さるのです。彼女は神様に感謝を捧げました。「体のあちこちは痛むけれども私をお救い下さって感謝します」九死に一生を得たイレーナさんはその後、身を隠しながらユダヤ人の子供達を援助する活動を続けます。戦時中に家族のリストを紙に書き見つからないようにビンに入れ地中に保管しておきました。そのリストが入った瓶を掘り出して子供達を親元に送り返そうとしたんです。でも殆どの親は集中キャンプで死亡、あるいは行方不明になっていました。しかしその後も、多くの子供達を支援していったのです。しかし彼女はそれ以降自分が今まで何をしてきたか隠します。でもある日新聞に彼女の顔写真が掲載されました。するとそれをみた子ども達が「私をあの苦しみの虐殺から助けたのはこの女性だ」とたくさんの人が名乗り出たのです。そして彼女の働きと名前が世に知られました。それは本当に最近2000年、彼女が90歳の時でした。

 2003年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は自らイレーナさんに手紙を宛て、第2次世界大戦時下における彼女の功績を称えた。さらに、彼女はポーランド最高の栄誉であるホワイト・イーグル勲章を含むその他の賞を受賞し、2007年3月、ポーランド上院がイレーナさんを称え、ポーランドのレフ・カチニスキ大統領は97歳のイレーナさんを「ノーベル平和賞にノミネートすべきだ」と称賛した。同年4月、イレーナさんは子供達への慈愛を表彰され、「微笑み勲章」を授与された。2008年、イレーナさんは98歳でこの世を去り天国でゆっくりと神様と過ごされているのです。 生前、彼女はこう語っています。「・・・文明は進みましたが、大量殺戮兵器の開発は今も続いています。それでも私は、愛が勝つ事を信じています。神に祈りなさい、どんな困難からも救い出し、必要を与えて下さるからです。」と。彼女の言葉はまさに実体験を通した言葉です。どんな事があっても神様を呼び求める時に、神様は私達に必ず答えて下さるのです。

 

今日はイサクの人生から、神様と共に歩む事がどれだけ素晴らしいものなのかをもう一度学びました。私達も日々神を礼拝し、神と共に歩んでいきましょう。