マタイ1711「すべてを治める主」

6節の後半から11節までの系図は、イスラエル国家成立後、イスラエルの民が何人もの預言者達から罪を指摘され、神に心を向けるように促されているにも関わらず、心を頑なにして耳を傾けず、罪を繰り返した結果、様々な事が起こり、国が北と南に二つに分裂しました。11節には「バビロン移住のころ」と体裁よく書かれていますが、実際はバビロンに侵略されてイスラエルの民が捕虜となっていったという400年の歴史がここに書かれているのです。決して美しい歴史ではなく、屈辱的な歴史、この歴史を振り返ってみるときに神の民としてどうするべきだったのか、今、どうするべきなのかを思い起こさせる聖書箇所です。救われている私達は神様の祝福の中に置かれている、それは神様の一方的な恵み、憐れみによるのだという事です。その事を今日の聖書箇所からご一緒に学び、主なる神を礼拝し、恵みに与りたいと思います。

 

「ダビデにウリヤの妻によってソロモンが生まれ」から読みましたが、ダビデについてちょっとおさらいしてみましょう。

ダビデはイスラエルの民にとっては国旗にダビデの紋章を用いているくらいに、歴史において理想の王であり、英雄です。ダビデの生涯について、第1サムエル記16章から第1列王記2章に書かれています。たとえ国民的に理想の王であり英雄であっても、その人生は困難もあり、また大きな過ちがあったのですが、それでもなお神は「わたしの心にかなった者である」と祝福しました。そもそもダビデは羊飼いエッサイの末息子でしたが、なぜ彼がイスラエルの王となったのか?ダビデが王となる前にサウルという王がいました。サウルが王となるまでの紀元前1050年までイスラエルには王様がいなかったのです。国は全知全能の偉大なる神に従ってきたのですが、紀元前1375年頃からイスラエルの民が神に聞き従わなくなってきたので、神の言葉を取り次ぐ人を立ててイスラエルの国に警告、忠告をしていきます。詳しくは旧約聖書の士師記に書かれていますが、神の言葉を取り継ぐ働きをしていたサムエルを通じて語られる言葉やサムエルの息子達の信頼が損なわれ、イスラエルの民は「他の国は王様が国を治めているから、イスラエルも神ではなく人である王様によって国を治めてほしい」と言いだしたのです。サムエルは反対し、主に祈りましたが、主なる神は祈りに応えサムエルにこうおっしゃいました。第1サムエル記87節から9節「主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ」こうして、イスラエルが神を中心とする国家から、王を中心とする国家となっていきました。そして主の示されたように、イスラエル初代の王としてベニヤミン族からサウルが王となったのですが、王となったサウルは人からの賞賛を求め、神に従わず、傲慢になっていき、王の座を退かされて、最後は惨めな死に方をし、ダビデが王となっていきます。詳しくは第2サムエル記に書かれていますが、その事をパウロは使徒の働き1321節から22節でこう言っています。「イスラエルの民が王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する』・・・こうしてダビデが王となりましたが、多くの戦いに勝利し、王として成功を収めたダビデに心のスキが出来て、自分の有能な部下であり戦地で忠実に働いているウリヤの妻バテ・シェバを宮殿に呼び込み一夜を過ごし不倫関係を結ぶ・・・。そして夫ある実のバテ・シェバは妊娠をしたために、ダビデは既成事実をつくるためにウリヤを呼び戻し妻と過ごすようにすすめるも、ダビデに忠誠を誓っているウリヤは一生懸命働いている他の兵士を考えると自分だけが休みを頂くわけにはいきませ

なる神によって打たれてしましますが、その後ダビデは心から悔い改めバテシェバを正式に妻とし、その後に与えられた男の子ソロモンが王を継承していくのです。ソロモンが王となっていく時も家庭内での争いが絶えなかった。ダビデは他の息子達からも追われる身となるほどに親として子育てに失敗した父親だったかもしれません。しかし、それでも神はダビデを祝福したのです。なぜならいつでも神に心を向け、神の前に心を解放し、主を求めたからです。ダビデは自分の犯した罪ゆえの苦しみ、他の人から受ける攻撃などいろいろな事を通じて主なる神に訴え、助けを求め、そしていつでも感謝し主を賛美しました。詩篇のほとんどがダビデの信仰告白であり、祈りであり、賛美なのです。

 王をついだソロモンについてですが、神に知恵を求め、神に祝福されてのスタートだったのにも関わらず、多くの罪を犯し、特に国と国で協定を結ぶために多くの女性たちを妻として、彼女たちの影響で真の神から離れていってしまいました。ネヘミヤ書1326節「イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。』と悪い手本として記録されてしまったのです。

しかし、晩年になってソロモンは悔い改め、どんなに人生が成功しても、神が中心となって導くのでなければ、すべて虚しい事を教えるために伝道者の書、箴言を書き、また雅歌によって神との麗しい関係についてのべ、詩篇にも神への祈りと賛美を残しました。栄華を極めたソロモンの亡きあと、イスラエルは北と南に分裂し、北イスラエルは紀元前740年ごろにアッシリアに征服されていきます。アッシリアとエジプトに挟まれた南ユダの13番目の王となったヒゼキヤは祈りの人であり、主なる神を信頼し、いつも主の御心を求めた王です。

ユダ王国において信仰の回復をもたらし、多くの功績を残りました。特に今でも残っているヒゼキヤの水道。ギホンの泉よりシロアムの池までをつなぐ地下水路、全長533m、幅60cm。紀元前701年のアッシリヤ帝国のセナケリブによる侵略を前に、ユダの王ヒゼキヤが城外のギホンの泉から岩盤をくり抜きトンネルを掘って、城内のシロアムの池まで水を引いてエルサレムの水源を確保したのです。第2列王記1856節「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った」と高く評価されているヒゼキヤは後に病にかかり死にかかったのですが、祈りが聞かれそれから15年の寿命の延長が許され、その証拠を求めると神様が地球の自転を少しの戻しました。そこまで祝福されたヒゼキヤにも大きな失敗をしてしまいます。ヒゼキヤ王のお見舞いにと、まだ小さい国だったバビロンから使者がやってきます。すでに回復し癒されたヒゼキヤ王はたいへん喜んで宝物倉を開いて持っている物を見せびらかしてしまったのです。全快とお見舞いの喜びのあまり気持ちが高ぶり、 心に隙ができてしまったのでしょう。神様はイザヤを通して 「すべて、バビロンへ運び去られる」、 また「あなた自身の息子たちのうち、 捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう」と告げます。 実にアッシリヤ帝国全盛の時代、まだバビロンが台頭するはるか以前のことでしたが、神様のご計画に反し いのち長らえることを求めたヒゼキヤ王の代償は、 ヒゼキヤ王のすばらしい信仰と業績に大きな汚点を残すことになりました。これらことは第2列王記20章に書かれていますので、お読みいただきたいと思いますが、いずれにしても神の恵み、祝福を忘れてしまう事に気をつけたいと思います。

 ヒゼキヤ亡き後、王権はマナセ、アモン、ヨシヤ、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤと続きますが、マタイの記した系図にはヨシヤにバビロン移住にエコニヤが生まれたと書かれています。読んだ人がその他の人のことも旧約聖書に書かれているからわかるだとうと省いたのだろうし、エコニヤはエホヤキンの事ですけれど、彼は何をしたのかというと、18歳の時にバビロン(新バビロニア)の王ネブカデネザルの脅威の中での南ユダの王として即位したが、エホヤキンは主の前に悪を行い神の言葉を冒涜したのです。

神の言葉を取り次ぐ預言者エレミヤはエホヤキンについてエレミヤ書2228節から30節でこう言っています。「このエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。地よ、地よ、地よ。主のことばを聞け。主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男。』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ」

この言葉から、ソロモンからエコヌヤを先祖に持つ者からはメシアは生まれないという事になりますが、エレミヤ書231節から8節にある主なる神からの言葉には、その奇跡的な御業による救済計画があるという慰めに満ちた励ましの言葉があるのです。

エレミヤ2356節「見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。それゆえ、見よ、このような日が来る。・・主の御告げ。・・その日には、彼らは、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とはもう言わないで、『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言って、自分たちの土地に住むようになる」

ダビデの若枝です。これはイザヤも預言したことで、メシヤのことです。けれどもここエレミヤ書では、「正しい若枝」とあります。なぜなら、今日の聖書箇所である系図に出て来るような堕落した王達とは違って、このメシヤ・油注がれた王の王、救い主は公義と正義を行なわれるからです。

新改訳聖書では、ここの「主」が太字になっています。これは神の名前です。יהוה(YHWH) 「ヤハウェ」であり、「一つになる」という意味があります。私たちに必要があるとき、その必要になってくださる、ということです。

この名前ではかつて、何度も現れてくださいました。アブラハムがイサクをささげる時は、「ヤハウェ・イルエ」主が備え、となられました。主が羊を備えてくださったからです。荒野でイスラエルがアマレク人と戦った時は、「ヤハウェ・ニシ」主は旗になってくださいました。ギデオンがこれからイスラエルを率いて、ミデヤン人と戦わなければいけないときは、「ヤハウェ・シャローム」です。彼は不安でしたが、主が平安になってくださいました。

そしてここでは、「ヤハウェ・ツィドゥケヌ・主は私たちの正義」です。預言者エレミヤの時代、どんなに正義が必要だったことでしょうか。何度も何度も、「正しいさばき」「公義」「正義」の言葉が出てきましたが、これがなかったのでエルサレムは滅びました。

400年のバビロン捕囚後、神様の憐れみとお計らいで紀元前537年にイスラエルの民は解放されエルサレムへと戻され、神殿を再建するようになっていきます。

今日の聖書箇所は、バビロン捕囚にいたるまで、主なる神から離れた指導者たちの愚かさとそれをどう神が扱ってきたのかを見る事によって、歴史の中に神のご介入がある事、そしてその状況は、今の時代を生きている私達になにを教えているでしょうか?

私たちが生きている今、どれだけ正義が必要とされているでしょうか? テレビをつけると

国内外で様々な事が起こっています。だからこそ、正義の主を求め、ひとりでも多くの人が救い主イエス様を信じ、また国のため、リーダーのために、祈る人が起こされるようにと願います。

 アフリカのガーナに、自分と他の諸国のために毎月祈るグループがあり、そのリーダーのギフティ・ダッジーさんはその理由についてこう言います。「周りを見回してください。ニュースを聴いてください。国々は戦争や災害、疫病で傷つき、暴力は、神の愛と祝福を見えなくしてしまいます。私達は、神が国々の問題に介入してくださると信じています。ですから、祝福の神を賛美し、神の助けを求めて声を上げているのです」

 第1テモテ人への手紙21節から3節「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」

 ゴールデンウィーク中の53日は憲法記念日でしたね。憲法改正の論議がある中、

私達も日本のため、世界のため、平和と人々が真の神に立ち返り、王の王なるイエス様の

ご支配の国が早く来ますように、祈りたいと思います。

 

 

お祈りします。