2016年8月24日創世記31:1-21「神が命じた通りに」

ある一人のクリスチャンの青年がアメリカで長期のホームスティをする事になりました。

アメリカでは車が不可欠ですから、車の運転免許をとるようにホストファミリーに勧められました。アメリカではまず筆記試験に合格すれば免許を持っている人が横に乗って路上練習をした後に、試験場に行き試験官同乗で審査を受けるのです。彼は自信がありましたが、試験場に行くと体が大きくいかにも厳しそうな表情の試験官が現れました。バックミラーやブレーキを点検した後、青年が運転席、その試験官が助手席に乗り、走り出しましたがその2、3分後その車はすぐに戻ってきて彼の付き添いに来たホストファミリーのお父さんにえらい剣幕で「この男は全然運転できない。免許を取る資格もない、もう一度やり直しだ」と言い放ちました。何週間かして、再挑戦の時が来ました。前回の試験官がやって来るのを見ると、運転席にいた青年は一生懸命こうお祈りしました。「神様、もうダメだと思いましたが、これも神様あなたのご計画ですから感謝します。あの怖い試験官を愛しますから、彼を祝福してください」

すると、急にあの恐くて厳しい試験官が別の試験官と交代になり、安心して運転免許を取得する事が出来ました。神様の祝福の原則、敵を愛する、悪には善で立ち向かおうという神様に従う事で必ず最善が導かれます。

 

さて、前回は「ヤコブとラバンの取引」「ヤコブの知恵」という視点から「主の祝福と知恵」について学びました。なかなか自立させてもらえないヤコブは知恵を得て主に祝福され自分の財産を築くことが出来ましたが、それを見て疎ましく思っている義理の兄弟達と義理の父ラバンの態度、自分の利益のためなら自分の娘たちでさえ利用するようなラバンからなんとか独立したいと思っていたでしょう、ヤコブに神はその機会を与えます。

ヤコブがハランの地を出て、故郷であるカナンに帰ろうとした動機が二つあります。

一つは、そこにいてヤコブの心に平安がなくなったという事です。

1節・2節「ヤコブはわれわれの父の物をみな取った。父の者でこのすべての富をものにしたのだ」とラバンの息子達が言いだし、そのうえラバンの態度も変わっていったのです。

この地方にある決まりでは確かに実の息子達にも相続権はありますが、ヤコブが主の祝福によって得た富であり、また義理の息子にもわずかな相続権があるのにラバンはそれを無視したわけですから、ラバンの息子達はどれほどの嫉妬心であふれていたのでしょうか!? ここにいては自分に、そして家族に危険が及ぶ事を察したのでしょう。

二つ目は、ヤコブに対して神からの語り掛けがありました。3節「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる」この主なる神からの言葉こそ、行動する確信となったのです。私達も何か行動をする前に、これは自分の思いだけなのか、それとも主なる神が与えてくださっているものなのかを判断する時、み言葉こそが主の御心を知るための基本なのです。私達に思いを与え成し遂げてくださるのも、主なる神なのです。パウロが書いたピリピ人への手紙2章13節「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです」とあります。

神の与える志なら道が開かれます。どんな困難も乗り越える力が与えられます。そしてすべては主が成し遂げてくださったのだ、主に栄光あれと感謝の賛美を捧げる事ができます。

ヤコブは「わたしはあなたとともにいる」だから大丈夫、今、行動に移しなさいと、主からの励ましがあったのです。ヤコブが個人的に神の臨在に触れたのは20年前でした。両親の元を離れて孤独と不安に陥りベテルで石を枕に横になった時です。あれから20年が経って神の声を聞きます。そして二人の妻たちを呼び、自分の気持ちと主なる神に語られた内容を話します。そしてヤコブの思いは自分勝手な思い出はなく、家族にとっても同様である事を確信し、心をひとつにして行動を起こすきっかけにもなりました。

ヤコブが主なる神から語られた言葉は11節から13節です。すべて神の祝福によって家畜、財産を増やすことが出来てた事、ラバンがしてきた欺きも神はご存知であり、20年前ベテルで誓ったように約束の地を与え、子孫を多くし、その子孫も祝福すると約束したのだから、立ち上がって生まれた国に帰りなさい」とおっしゃったと妻達に告げました。

ヤコブの妻達も夫の言う事に心から賛成し、父ラバン、兄弟達に対しては何の未練もありません、と夫についていく決心をしました。16節「神が私達の父から取り上げた富は、すべて私達のもの、また子供達のものですから、さあ、神があなたにお告げになったすべての事をしてください」と夫ヤコブのとろうとしている行動を支援します。

ヤコブと妻達の協力体制、これは教会やいち個人のクリスチャンにとっても、とても大切な要素です。誰かが神から与えられたビジョンを確認し行動するために、とても大切な要素なのです。私達は主イエス様を頭とする教会に集まっています。教会は建物ではありません。ギリシャ語では「エクレシア」「神に呼ばれた者が集まる所」という意味です。

神の家族として集まり、主の御言葉に耳を傾け、祈りあう仲間です。「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです」とイエス様はこうおっしゃいました。またイエス様はマタイの福音書16章18節から19節で「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」とおっしゃったのです。いま、この時、ここにイエス様のご臨在があります。

17節「そこでヤコブは立って、彼の子たち、妻たちをらくだに乗せ・・・」と早速行動に出ました。19節を見ると、神の与える最善のタイミングだった事がわかります。

ちょうどラバンが羊の毛を刈るために遠くに出かけていたので好都合でした。

その19節に気になる事が書かれています。「ラケルは父の所有のテラフィムを盗み出した」

この「テラフィム」は当時このメソポタミア地方に家の守り神として祀られていた木製あるいは鉄製の小さな偶像でした。お守りの役目だけではなく、ハムラビ法典によれば、これを持っているものは財産を受け継ぐ権利が与えられていたので、ラケルはテラフィムを拝むためではなく、夫ヤコブに父ラバンの財産を受け継ぐ権利があるのだと主張したかったのでしょう。しかしながら、盗み行為は罪ですし、財産が増えるのは主の祝福によってである事をラケルは信じ切る事が出来ていなかったのかもしれません。

夫ヤコブは神の声に聞き従う者でしたが、妻ラケルは「テラフィム」を盗むという自分の知恵によって財産を増やそうと思ったこの行為が、後に大きな問題を引き起こすのです。

いずれにしても、いわゆる夜逃げするかのようにヤコブ一家は出ていきました。「わたしがともにいる」という主の言葉を握りしめての行動です。

私達が何かをするときに、神の言葉を聞き、それに従う時に、必ず道が開けるのです。

 

旧約聖書の箴言3章5節「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」

この言葉には大きな成功の秘訣が書かれています。どうしても私達は自分の経験や知識、常識にとらわれがちですが、創造主なる天の父なる神が共にいてくださる事を思う時に、

思いをはるかに超えた祝福を主が与えて下さるのです。

この箴言の言葉に支えられて日本に来たアメリカの方を紹介します。茨城キリスト教大学のジム・バットン先生です。先生はクリスチャンになったきっかけをこうお話ししています。「私が高校生の時、気になる女の子のおばあさんの家で、聖書の勉強会が開かれていました。私は早速それに参加しました。そんな中、私は次第に、その女の子以上に、そのおばあさんと親しくなったのです。そして、そのおばあさんは、私がクリスチャンになる決意をした時、一冊の聖書語句辞典をプレゼントしてくれました。「気の利いたメッセージは書けないので」と言って、そこに記されていたのが、箴言3章5節「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」です。これによって、私は主(神)に任せること、信じきることの大切さに気付きました」

聖書との出会い。神との出会い。何がきっかけになるか分かりません。気になる女の子目当てに聖書の勉強会に出席し、そこで神と出会い、信仰の友となるその女の子のおばあさんとも出会ったのです。おばあさんが書いてくれた『箴言』とは、“ことわざ”とか“格言”という意味でそこには古代イスラエル人の知恵が収められているのです。おばあさんは「気の利いたメッセージは書けないので」と言ったそうですが、この書には、まさに「気の利いた言葉」が詰まっているのです。そしてバットン先生は神の導きによって現在茨城キリスト教大学で教えていらっしゃいます。

もう一人クリスチャンの方のお話しを紹介します。同志社大学を作った新島襄氏です。明治維新の四年前、二一歳のとき、彼は国禁をおかして米国へ渡航しようと機会を求めていました。北海道の函館から密航を計画した彼は、江戸を出る時の所持金は今でいう1万円程度、渡航するための費用にはほど遠く、密航することは不可能に思えましたが、函館でニコライ神父と沢村琢磨に出会い、イエス・キリストの救いについて聞き、すぐにクリスチャンになりました。その後、武士の魂であり当事の身分証明であった大小の刀を手放すことを決心し、小刀を売って漢訳聖書を買い、大刀は彼の志を聞き入れて密航をゆるしてくれた船長に、船賃として渡しました。この行為は彼の全財産全てと、身分を失うことでしたが、こうして彼は船にのり全てを神に委ねたのです。

 国禁をおかしてまで実行する渡米は、「誰のためでもない、日本のために行くのだ」との熱意でした。彼の志をうけいれてくれたのは、船主のハーディ夫妻でした。

 このハーディ夫妻の愛によって、彼はアーマスト大学を卒業するまでの十年間、なんの身寄りもない異郷で、すべての必要を与えられ続けたのです。1972年(明治5)岩倉全権大使の随行員となってヨーロッパをも視察して見聞を広めた彼は、役人への招聘も断り、すべての基本となる教育に自分の一生をかけることにし 1875年、京都に同志社を設立し、キリスト教主義による教育を実現させたす。

たとえ不可能と思える事柄起きても、神が道を開いてくださることを確信し、神は必ず祈りに答え、確信と平安を与えてくださるのです。

イエス様はマタイの福音書6章33節でこう教えてくださいました「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」

神に信頼し、神の支配を求め、神と心を一つにすれば、必要な衣食住も、それ以上の祝福も与えられます。私達も大胆に神の国と神の義を求めていきましょう。