2016年10月29日創世記36章「エサウの誤算」 メッセンジャー 大角 健一 牧師

 

 今日の箇所「こんな、名前ばかりの箇所から何を学べばいいのか」と迷ってしまいますね。

 

ある時牧師が、なかなか睡眠のとれない一人の信徒に言いました。「昨夜はよく眠れましたか」すると信徒は、「はい、先生の説教のおかげで、ほとんど眠れませんでした」と答えました。

心配になった牧師が、「私の説教でどんな事が気になったんですか?」と尋ねると、信徒は言いました。「いえいえ、先生の説教中、いつもの短い昼寝と違ってぐっすり1時間以上寝てしまったもんですから」と答えたそうです。

名前ばかり読んでいたら眠くなりますし、皆さんが眠らないようになるべく短めにお話したいとは思いますが、万が一延びてしまったら、ご遠慮なくお休みください。ただし、いびきは控えめにお願いします。(笑)

 

さて今日は系図の中のひとり、私たちの霊的祖先であるエサウについてみことばから学んでいこうと思います。

エサウはご存じのように、アブラハムの孫、イサクの息子、ヤコブの兄です。母リベカの胎内からヤコブとの間には激しい主導権争いがあったようで、「彼女の腹の中でぶつかり合うようになった」(25:22)と書かれています。

生まれてくる時にも、最初に出て来たのはエサウでしたが、そのかかとをヤコブがつかんで(25:26)いました。初めに出て来たのがエサウでしたので、エサウが長男、ヤコブが次男という事になりました。

長男は毛深かったのでエサウと名づけられ、また赤かったのでエドムとも呼ばれました。エドムは別名で、後に彼らが住む地方の地名になりました。(エドムは死海南部からアカバ湾までの地域)

母リベカには、「兄が弟に仕える」という預言がなされていましたし、事実その後の展開で、ヤコブがエサウから長子の権利を買い取り、しかも父イサクの祝福さえヤコブは奪い取る事で、この預言は実現する事になります。

しかし、聖書を貫く原則は長子が家督を相続するというものですし、預言通りヤコブがそれを受けているところを見ますと、本来というか、元々ヤコブが長男として最初に出て来るはずだったが、胎内の主導権争いの結果エサウに遅れてしまい、なんとかしようとかかとをつかんで出て来たと考える事も出来るかもしれません。

神はその事も予見されて、母に預言しておられたのでしょう。もちろん、預言された神様の約束とはいえ、その後ヤコブが取った行動には、人を出し抜くようなずるがしこさが見て取れます。

神様の約束なのですから、信頼して待っていれば必ず道は開けたはずです。彼の行為は、そうできなかったヤコブの勇み足と言わざるを得ません。その結果、彼は逃亡生活と異国の地での長い訓練期間を経なければならなかったのは、これまでの礼拝で学んでこられておわかりの事だと思います。

さてエサウに話を戻すと、彼は弟ヤコブとは正反対の性格でした。エサウは行動的なアウトドア派で「巧みな猟師」で「野の人」(そのまま読んだら野人ですね)(25:27)でしたが、ヤコブは「穏やかな人」で「天幕に住む」(〃)インドア派でした。

好対照の二人でしたが、両親の好みも二手に分かれました。父イサクはエサウを愛していました。「猟の獲物を好んでいた」といいますから、肉好きがエサウ押しになった理由のようですが、それだけでなく、エサウの性格と行動がイサクの好みに合っていたからでしょう。

これに対し、母リベカはヤコブを愛していました。こちらも性格が合っていたからかもしれません。親に好みがあるのは仕方ありませんが、それでも偏愛は子どもの性格形成に大きな影響を及ぼします。

弟が兄を唆し、あるいはだまし、兄はその弟の命を狙うという異常な兄弟関係と両親の態度が無関係だったとは思えません。私たちも出来るだけ平等に、好みとは違っていてもその個性を尊重する接し方で、子どもを育てていくべきでしょう。

そんなエサウでしたが、ここまで見て来て新約聖書が彼について下している評価について、「ちょっと、言い過ぎじゃないのか?」と思うのは私だけではないのではないかと思います。

「一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい」(へブル12:16)「俗悪」とはずいぶんな言い方ですが、このことばには「世俗的な」という意味もあります。

聖書はエサウが「世俗的な」すなわち、この世的、この世の事を優先する判断をした事を痛烈に批判しているのです。行動的を裏返せば、エサウは直情的、感覚的な人だったと言えるかもしれません。つまり、あまり考えないで決断し、行動をしてしまう人だったという事です。

彼のこの性格というか、あり方が、受け取る可能性のある大切な祝福を失わせたのです。エサウには長子の権利の重要性が見えてはいませんでした。確かにことば上のものですし、具体的に目に見えるものではありません。だから軽んじたのです。たった一杯のレンズ豆の煮物で、簡単に売り渡してしまったのです。

今朝の箇所にも、彼のそういう態度が垣間見えるところがあります。6節です。エサウは全財産、全家族を引き連れてカナンを離れ、南部のセイル山地に移り住みます。7節には「彼らの持ち物が多すぎて」とあります。

エサウが移住したのがいつであるのかははっきりしませんが、ヤコブが20年にわたるパダン・アラムでの生活にピリオドを打って帰郷した時、恩讐を超えてヤコブを迎えたエサウは、兄のご機嫌を取ろうと数多くの贈り物を差し出すヤコブに、「私はたくさんに持っている」(33:9)と言っています。

ですから、エサウは故郷でも物質的に祝福され、多分何年にもわたってカナンとセイルを行ったり来たりしていたのだと思いますが、かの地でも多くのものを手に入れていたのでしょう。

「ふたりの一族が同時に住むには狭かった(支えきれなかった)」という事もそうだったのでしょうが、それよりもエサウの関心がいつも物質にだけ向けられていたという事なのです。

ものを集め、お金を集め、美味しい物を食べ、きれいな服を着る…。彼の視点は常に「この世」にありました。だから聖書はエサウを「俗悪」「世俗的」と断言しているのです。

いい家に住む事も、美味しい物を食べる事も、全く問題ありません。ただ、それらの事だけに関心が向いて来ると、そういう事ばかり考えているようになると、一番大切なものが見えなくなるのです。

イエス様はこんなたとえ話をされています。ある金持ちの畑が豊作だったので、金持ちは入りきれない作物のために、今ある倉を壊して新しくてもっと大きいのを建てようと考えました。彼は自分のたましいに、「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで楽しめ」と言いました。ところがその夜、金持ちは急死します。その時神様は彼にこういわれました。「愚か者。おまえのたましいは、今夜取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」

金持ちの誤解は、たましいには食べ物も飲み物も必要ない事を知らなかった事です。そして物がいっぱいあれば安心だと思い込んでいた事です。つまり、彼の視点もエサウ同様、この世だけ、物質だけだったのです。

イエス様は神様のことばとして、金持ちにこう言われています。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりである」(ルカ12:21)

エサウも金持ちも、問題は霊的に盲目だったという事です。才門正男さんというビジネスマンがいます。彼は34歳で父親の建設会社を受け継ぎ、折からのバブル景気にも乗って、一時は年商260億円の会社に成長させました。

年中休みなく、運転手付きの高級車にふんぞり返り、忙しそうに駆け回っていたと言います。マスコミの取材も受け、さまざまな団体の役員、異業種交流会の役職もこなしていました。そんな時に古本屋で三浦綾子の「新約聖書入門」を手にして、キリスト教信仰に目覚めかけたのですが、時すでに遅し。

会社の債務170億円は免除されたものの、自身は経営者として150億円の負債を負いました。さらにこの間、次男が路上ですれ違った二人組に殴られ入院をしたり、三男がスキー場でバイト中に暴行障害事件を起こして逮捕されるなど、家族にも嵐が襲います。

けれども失明覚悟の次男の手術が奇跡的に成功したり、少年院で聖書を読むようになった三男もクリスチャンになるなど、苦しみが家族に一体感を与えるきっかけとなりました。

自身も20世紀最後のクリスマスに洗礼を受けてクリスチャンになります。2004年に長野にある第三セクターのリゾート会社再建に招聘された才門さんは、隣村にあった会社のクリスチャン社長と知り合いになります。

その久世良三さんは、会社の敷地内にチャペルを作り、奥さんがそこで牧師をしていました。才門さんもその教会に通うようになり、神様に対する信仰が少しずつ成長していったのです。

すると会社の業績も不思議なほど右肩上がりで回復。負債も徐々に減って行ったのです。

「神様がすごいと思うのは、いつも人間が思いもつかないシナリオを書いてくださるという事です。神様は想像もしていないところに新しいものを置いてくださっているのです」と才門さんは言います。視点がものだけ、地上だけから、目には見えないもの、神様に向けられると人生は変わります。しかし残念ながら、エサウの人生はものは増えて行きましたが、この視点はそれに反比例して行ったのでした。

エサウの事からもう一つの事を見てみたいと思います。それは彼の子孫の事です。この36章には、エサウの子孫たちの名前が列挙されています。1節に「エサウ、すなわちエドムの歴史である」とあるように、エサウの別名はエドムであり、彼の子孫はエドム人と呼ばれました。(「エドム人の先祖はエサウである」36:43)エサウは「野の人」だったからでしょうか、自由人で、また先ほども見て来たように霊的な事には無頓着でした。ですから彼は父イサクのように、また弟ヤコブのように、自分たちの故郷から嫁を取る事をせずに、カナンの女性をめとりました(36節)。この事はイサクとリベカにとって悩みの種となりました(26:35)。

これはエサウの家族(特に子どもの教育に)異教的影響を与えたという事です。つまり唯一、まことの神様を信じる信仰が揺るいでしまう、子々孫々に伝わって行かないか、変質してしまう危険性があったのです。

さらに悪い事には、自分の嫁たちが父親に気に入られていない事を知ったエサウは、それを改める事をせず、何とかえってさらに妻を迎えたのです。それも自分の祖父アブラハムの息子イシュマエルの娘(マハラテ)をです。血縁が濃い事もありますし、何か当てつけのような感じもします。なにせイシュマエルはイサクをいじめたのでハガルとともにアブラハムの家から追い出された人でしたから・・・。

こうしてエサウは新たな火種を家系の中に持ち込みました。この後、エサウの子孫であるエドム人たちはヤコブの子孫イスラエル人に様々な影響を与えるようになります。

ヨブの友人でありながら、彼を責めたてたのはテマン人(エドム人)エリファズです。モーセに率いられてエジプトを出て来たイスラエル人に立ちはだかったのももともと兄弟であったエドム人です(民数記20:14~18)。

イスラエルを長い間苦しめたアマレク人も、エドム人の一部であったと言われています。ヤコブと対立したエサウの子孫エドム人は、長期間にわたってイスラエル人を悩ませ、苦しませてきました。

さらに新約聖書に入ってもそれは続きます。というより、神様の救いの計画を邪魔しようとしたのです。生まれたばかりの幼子イエス様を殺そうとしたのはイドマヤ人のヘロデ大王でした。イドマヤはエドムの事です。

もちろん、ヘロデ大王に具体的にそういう意識、神様の計画を妨げようという思いが合ったとは思いません。彼はただサタンに唆されて、神様の救いの計画を頓挫させるために用いられようとした駒でした。

軽率な行動が、霊的な事に盲目なあり方が、自分だけでなく、その子孫にも影響を与えるとしたら、今の自分自身の襟を正して、神様との関係をしっかり構築する必要があるのではないでしょうか。

もしその霊的な祭壇が壊れているなら(そう自覚したら)、もう一度それを建て直すべきだと思います。具体的には子どもの教育です。ユダヤ人は子どもの教育、特に信仰の継承に心を配ります。それは聖書にこう書かれているからです。

「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない」(箴言22:6)

先日の安食牧師のメッセージでも引用されましたし、8月に私がメッセージした時にも引用しましたが、アメリカの社会学者が対照的な2人の子孫を調べた結果があります。

 

18世紀に生きた2人のうち1人はオランダ移民の子でマックス・ジュークス。もう1人はイギリス移民の子、ジョナサン・エドワーズです。

この2人の子孫は見事なほどに好対照になりました。かたやジュークスの子孫には殺人者を含む数多くの犯罪者や乳児死亡者がいました(8代後まで調べました)。

一方エドワーズの子孫には大学教授や宣教師、牧師など、数多くの社会に貢献する人々が出ました。副大統領や議員もいます。

この違いはどこにあったのか?ボタンの掛け違いは、最初に原因があります。彼らの家系もそうでした。ジュークスは大酒飲みで、暴れん坊。子どもの事など気にもかけず、子どもの育て方などまるで眼中になく、自分勝手な生き方をしました。

これに対しエドワーズは、同じ信仰を持ったサラと結婚をし、子どもの教育と信仰の継承に力を注ぎました。二人で祈って幸せな家庭を築き、祈りながら子どもを育てました。

ただそれだけです。それが全く異なった子孫を生み出したのです。エサウもヤコブも同じ父と母から生まれました。その教育に偏りがあったかもしれませんが、彼らの子孫については彼ら自身にその責任がありました。

私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの神を信じる約束の子孫です。ヤコブの霊的子孫です。ですから決してエサウの道に入り込まないように、彼の誤算と失敗を味わわないように気をつけたいものです。

しっかりと霊的視点を持ちながら、お子さんがいるなら彼らにしっかり信仰を継承出来るように、いらっしゃらなければあなたの信仰をどなたかに渡して、霊的な子孫を育てていけるように、互いに励まし合っていきましょう!